名古屋の【毘沙門天】は、繁華街の中心地【福生院】だよ!

神社寺院

七福神の一人である毘沙門天様は、袋町お聖天で知られる福生院にございます。

名古屋地下鉄東山線「栄」「伏見」駅間に位置し、なごや七福神めぐり寺院の1つです。

境内は広くありませんが、みどころも多く、その歴史を知ってから参拝すると新しい発見や気づきも楽しめると思います。

福生院

福生院

1617年の江戸時代、清須越しにともない現在の名古屋市中区錦2-5-22に移りました。

繁華街地でもあり、各霊場めぐりの1つでもある寺院ですので、是非一度参拝してみて下さい。

・なごや七福寺めぐり 毘沙門天
・名古屋二十一大師霊場 第5番 出世大師
・東海三十六不動尊霊場 12番 不動明王

概 要

福生院

山号:如意山
宗派:真言宗智山派
本尊:大聖歓喜天
創建:1368年

開山順誉上人が大聖歓喜天を愛知郡中村の里に安置し堂宇を建立したことから始まります。

江戸時代に入り、徳川家康の命での清洲越しに伴い現在の地に移りました。

大聖歓喜天とは?

もともと歓喜天はインド神話のシヴァ神の子で、その姿は象頭人身です。

単身像と双身像とがあり、

単身像は、二臂・四臂・六臂・八臂・十二臂とあり大根や刀剣などを持ちます。

双身像は、象頭人身の二天が立ったまま抱き合った像になり

男天と女天に区別され、女天は天華冠をつけ、十一面観音の化身と言われます。

福生院山門をくぐり右手に、十一面観世音菩薩の石像が置かれていますよ。

清洲越しとは?

徳川家康の天下普請により、名古屋城築城が開始され

清洲城から名古屋城へ都市移転が行われたことです。

創建の1368年は、室町幕府南北朝時代による内乱期です。

尾張名所図会にも福生院があり、聖徳時と一緒に描かれています。

聖徳時は、織田信長と斎藤道三とが会合したお寺で有名ですが

当時の尾張国中島郡と違い、尾張名所図会時期には名古屋市中区錦3丁目に移っており

現在は、名古屋市天白区に移っています。

創建当時の歴史事として

1331年 元弘の乱 後醍醐天皇挙兵
1336年 建武の新政

1338年 足利尊氏により室町幕府開く

1392年 明徳の和約(南北朝統一)

1401年 日明貿易開始

1467年 応仁の乱

尾張名所図会 福生院

尾張名所図会は江戸時代後期から明治初期に作成された尾張誌です。

清洲越しにより名古屋市中区に移された福生院と、江戸初期に名古屋市中区に移された聖徳寺が一緒に描かれています。

聖徳寺はもともと、岐阜県羽島で創建され、その後愛知県一宮市・清洲市に移り、江戸初期に名古屋市に移されて、現在は名古屋市天白区に移転している。

一宮市にあった時の聖徳寺は

織田信長と斎藤道三が会合したお寺として有名で

聖徳寺に向かう織田信長の服装や軍の兵器などを

道中の小屋から覗き、面会した時の出で立ち(服装)の

違いから圧倒されるエピソードです。

みどころ

【六角宝塔】

福生院 六角宝塔

上層には十二干支の総守り本尊薬師如来、
下層には生まれ年守り本尊がいらっしゃり、守護してくれる仏様が定まっていると言われています。

  • 子年生まれ:千手菩薩
  • 丑年生まれ:虚空蔵菩薩
  • 寅年生まれ:虚空蔵菩薩
  • 卯年生まれ:文殊菩薩
  • 辰年生まれ:普賢菩薩
  • 巳年生まれ:普賢菩薩
  • 午年生まれ:勢至菩薩
  • 未年生まれ:大日如来
  • 申年生まれ:大日如来
  • 酉年生まれ:不動明王
  • 戌年生まれ:阿弥陀如来
  • 亥年生まれ:阿弥陀如来

あなたの守り本尊はご存じですか?

【手水舎】

福生院 手水舎

水を司る龍神の口、吐水口から流れる手水舎を見かけることが多いですが、こちらの手水舎では

珍しく浸っているケースです。

奥左手に修行大師、中央に毘沙門天がいらっしゃいます。

【七福神】

福生院 七福神

なごや七福神めぐりの霊場でもある福生院では七福神の木造彫刻が祀られています。

毘沙門天像は、手水舎の奥側、修行大師の横にいらっしゃいます。

なごや七福神めぐりの寺院は

・恵比寿:笠寺観音笠覆寺
・大黒天:如意山宝珠院
・弁財天:宝生寺辨天寺
・福禄寿:成田山萬福院
・寿老人:八事山興正寺
・布袋尊:大須観音宝生院

日本最古の七福神めぐりは、京都の都七福神めぐりと言われます。

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【福智地蔵】

仏教でいう「福智」とは、福徳と智慧を表します。

善行による福徳は利他、悟りによる智慧は自利にて菩薩が積む修行であり、双方完全にともない如来になると言われます。

仏の階層として
1:如来
2:菩薩
3:明王
4:天部

福智地蔵の左手には
・辨才天
・愛染明王
・観世音菩薩
・青面金剛
並び配置されています。

【出世天神 秋葉大権現】

福生院

天神と言えば、天満宮や天神様で菅原道真をご祭神とする神社になります。

本来は天津神を信仰するものであったが、平安時代菅原道真没後、天災・疫病や皇子が病気でなくなり
これを呪いと恐れ、天満大自在天神という神格で祀ったのが始まりです。

神使の臥牛

天満宮で良く見られる臥牛と菅原道真にまつわる伝承が数多く残る。

・牛年であった。
・牛が菅原道真をまもった。
・墓所の位置を牛が決めた。 などなど

秋葉大権現は火の神様・火防として知られ、秋葉三尺坊大権現と同一視される場合がある。

火の神様としてご祭神火之迦具土大神を祀られる秋葉神社、三尺坊の神格化が秋葉大権現であると諸説あり正直難しい。

ただ、名古屋市の秋葉山と言えば圓通寺が有名であり、熱田神宮に隣接した位置にあります。

毎年12月に行わる火渡り神事には、火防守護・諸難消滅・福徳延命などを祈願に多くの人が訪れる大祭です。

【不動堂】

福生院 不動堂

本尊・不動明王を祀る不動堂です。

不動明王は五大明王の中心である明王で、大日如来の成り代わりとも言われます。

五大明王とは、中心に不動明王
東に降三世明王
西に大威徳明王
南に軍荼利明王
北に金剛夜叉明王

位置します。

古くから不動明王と毘沙門天は、観音様の1対の脇侍としてよく見られます。

平安時代からこの流れが多いですが根拠は明確ではない。

インドや中国ではこの不動明王の像は非常に少ないようですが、日本では知らない人はいないぐらいでしょう。

平安時代には、呪いが原因で遷都したという逸話もあります。

物の怪などの退治陰陽師や人災火災も多かったことから、その邪気を払う不動明王をイメージされたのでしょうか。

最後に

以前から気になっていた福生院、今回初めて参拝に訪れることが出来ました。

不動明王・毘沙門天・秋葉三尺坊大権現と火のイメージや破邪のイメージが強いですよね。
(僕のイメージですけど。。)

この新型コロナの猛威を早く焼き払っていただきたいものです。

でも、、

実は近くにふぐ料理屋の「玄品」さんがあり、

待合せ時に「ここにあったのか~!」と思ったのがキッカケなんですけどね。

ありがとうございました。

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