漬物の神様が祀られている【萱津神社】と日本武尊の伝承

神社寺院

日本武尊にまつわる神社を調べていたら、愛知県あま市にある萱津神社で足跡を発見。

桜の名所でもある五条川沿いに萱津神社があり、織田信長で有名な清洲城近くに位置します。

萱津神社は日本で唯一の漬物神社でもあり、ご祭神は農耕の神様でもある鹿屋野比売神(かやぬひめのかみ)です。

鳥居をくぐり、神聖な空気を吸いながら、境内奥にあるご神木「連理の榊(れんりのさかき)」がある場所へ行き、ここはまた違う聖域をピリッと感じる場所です(日本武尊に関係あり)。

仕事の関係で以前から気になっていた神社でしたが、今回初めて参拝させていただきました。

萱津神社

萱津神社

鎮座地:愛知県あま市上萱津字車屋19
ご祭神:鹿屋野比売神
創 建:不明

尾張の国の古社で、尾張国神明帳に従三位萱津天神とあり。本国帳の貞治本には従一位萱津天神と記す。

草の社(かやのやしろ)または種の社(くさのやしろ)と称し、和歌で知られる阿波手の杜に神鎮まる古社で

肥沃な地を求め移り住み、この地に野を司る鹿屋野比売神を奉祀したのが始まりとされる。

明治の近代社格制度では村社にあたりますが、第二次世界大戦終戦直前には県社相当として扱われました。

萱津神社南側に駐車場が数台分あり。

そこから境内へ向かう道に、「鹿屋野比売神女神像」「香の物発祥の地」があります。

「香の物」の語源は、ここ愛知県あま市で生まれた。

漬物の起源

当時海に面していたこの地に住む人々が、海のもの(藻塩)・大地のもの(野菜)をお供えしていました。

時間と経過によりお供え物が腐ってしまうのを嘆いた人々が、社殿に甕を置きその中に入れたところ、程よい塩漬けになったそうです。

香の物の由来

日本武尊が東征時この地に立ちより、村人がこの漬物を献上したところ、大変感慨深げに「藪に神物」(やぶにこうのもの)と仰せれたと伝えられているそうで、ここから漬物のことを香の物と言われるようになったと言います。

お池龍神

阿波手の池と言われる、古来より涸れることなく人々の生活を護る龍神の池として大事にされています。

秋から冬に咲く桜も見ることが出来て、得した気分に満足しました(撮影時:11月)

ご祭神:鹿屋野比売神

鹿屋野比米売神 系図

ご祭神の鹿屋野比売神は草と野の神・農耕の神として、山の神大山津見神との間に4対8柱の神を産み、また

市場の守護神として祀られる娘の神大市比売は、須佐之男命との間に、大年神とお稲荷さんで有名な宇迦之御魂神がいらっしゃいます。

萱津神社

鹿屋野比売神(かやぬひめのかみ)の「かや」は「萱」であり「茅」のことです。

香の物殿は茅葺・土壁の建物で、この中に甕を5個入れ漬物を漬けています。

創 建

創建は不明とされています。

しかし、日本武尊にまつわる逸話があり、そこから考察してみます。

日本武尊の生没

誕生 82年

死去 111年

①日本武尊は、12代景行天皇の子として生まれ、尾張の豪族の娘・宮簀媛を妻として迎えています。
(こちらの記事も併せてどうぞ→こちら

②宮簀媛は、尾張国の祖と言われる乎止与命の娘で、天火明命の後裔にあたると言われます。

③天火明命は、天照大御神の孫にあたり、尾張一之宮・真清田神社のご祭神として祀られている。
(真清田神社記事は→こちら

④尾張二ノ宮・大縣神社の創建は紀元前3年、垂仁天皇の時代。
 尾張三ノ宮・熱田神宮の創建は113年、景行天皇の時代。

⑤神誕生順として
 1:鹿屋野比売神 2:天照大御神 3:須佐之男命 4:天火明命 そして時が経過して日本武尊が誕生

①~⑤をふまえ
日本武尊が立ち寄った萱津神社ということで、創建は日本武尊死去111年の前。

この時点で、熱田神宮より古いことがわかります。

実はこれはこれでびっくり

一之宮二ノ宮三ノ宮は、明治初期に決まれたら近代社格制度であり、701年律令制度から始まったもので必ずしも創建や由緒と一致するわけではありません。

尾張一之宮真清田神社の創建は紀元前628年、ご祭神は天火明命。
尾張国の祖と言われる乎止与命の先祖。
ただ、10代崇神天皇の時代とも説がある。

尾張二ノ宮大縣神社の創建は紀元前3年、ご祭神は大縣大神。
大縣大神は国狭槌尊・天津彦根命・少彦名命・大荒田命・武恵賀前命と諸説多いが、「尾張開拓の祖神」と言われています。

大縣神社の創建は紀元前3年、11代垂仁天皇の時ですので、その後の時代の方がご祭神になるとは考えにくい。

となると、神世七代の国狭槌尊もしくは、天照大御神の子の天津彦根命(誓約の五男の1人)、神武天皇の子の武恵賀前命と考えるのが妥当だが、大縣神社の公式ホームページにもはっきり記載されておりません。

大縣大神である。
尾張開拓の祖神である。
であるのでしたら、大荒田命がすっきりします。

大荒田命の娘玉姫命は、日本武尊の妻宮簀媛の兄建稲種命の妻であるため、垂仁・景行天皇時代になり、尾張の祖と
言われる乎止与命の時代もほぼ同時期になります。

真清田神社 10代崇神天皇の時代「在位紀元前97年ー30年」(この説と仮定すると)
大縣神社  11代垂仁天皇の時代「在位紀元前30年ー紀元後70年」
熱田神宮  12代景行天皇の時代「在位紀元後70年ー130年」が創建とした場合、
この約230年間の間に尾張の地へ人が流れ居をもった。

とも考えることができる。

つまり、BC97から日本武尊死去111年の208年間に萱津神社は創建された。

もしかしたら、愛知県で最古の神社になるかもしれませんね。

境内社

萱津神社 金山社 銭神社
萱津神社 八剱社 白髭社

境内社に金山社・銭神社・八剱社・白髭社が祀れており、銭をかたどった特徴的な金属モニュメントが。

そして萱津神社の手水舎横に、石型の銭碑はインパクトが強すぎます。

萱津神社

石銭碑が多い。。。

連理の榊

萱津神社 連理の榊

日本武尊にまつわる古い伝承

日本武尊が伊吹山の戦いで傷を負い、萱津神社にて滞在中、宮簀姫に後事を託された(死期を悟ったのです)。

宮簀姫が駆け付けたころには、伊勢に向かった後で、人目も憚らず悲しみうなだれている姿から、だれ云うとなく、この森を「不遇(あわで)の森」という様になったと言います。

宮簀姫に会えない日本武尊は非常に残念がり、後世のものに再びこの悲しみがない様にと願いを込め雌雄二本の榊をお手植され、後にこの2本の榊は地上2メートル程の所で連理となりこれが萱津神社のご神木「連理の榊」になります。

「不遇の森」は「阿波手の杜(あわでのもり)」とよばれ、歌枕として多くの詩歌が読まれた地ということです。

本殿横、幟旗の道をすすみ、連理の榊の境内になります。

境内に金山社・銭神社・八剱社・白髭社も同地にあり、ここの空気はまた違った感じを受けました。

最後に

以前から気になっていた萱津神社に、今回ようやく参拝することができました。

日本武尊にまつわる伝承があることに縁結びの神様ありがとうございます。

お漬物の歴史や阿波手の杜など、愛知県民も知らないであろうことが本当に神社を通して勉強になります。

今度、私の周囲の方たちへ「うんちく」「豆知識」として自慢したいと思います。

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