神社寺院の歴史を見ていく中で、「宿坊」と言う言葉を目にします。
漢字から想像できると思いますが、宿泊施設の事です。
7世紀 飛鳥・奈良時代から実施された「律令制」と深くかかわり、「古事記」「日本書紀」にも記述が見られる温泉とも深いかかわりがあります。
今回は、宿泊施設と温泉との歴史を宗教の信仰心とあわせて見ていきたいと思います。
宿屋の歴史
現存する最古の旅館は、山梨県の西山温泉「慶雲館」です。
705年 藤原鎌足の子藤原真人が発掘開湯され、46代孝謙天皇が湯治にこられたとの伝説が残っています。
武田信玄や徳川家康も、わざわざこの地に訪れるほどの名湯で一度は訪れてみたい温泉地です。
2011年には、「世界で最も古い歴史をもつ宿」として
ギネスに認定されています
石川県の粟津温泉「法師」、こちらも一時は「世界最古のホテル」としてギネスに認定されたことがある由緒ある旅館です。
白山大権現が、白山を開山した修験道の僧泰澄の夢枕に立ち、
「粟津の地に、薬師如来の慈悲による霊験あらたかな霊泉がある」とお告げがあります。
そこから1人の弟子雅亮法師に湯治宿を建てさせ、湯守りをさせたのが始まりと言われます。
石川県には、他にも山中温泉・山代温泉と約1300年の歴史をもつ温泉もあり、行基が発見したと伝わっています。
行基は仏教僧で、奈良の東大寺など聖武天皇時代に数多くの功績を残しており
その中に有馬温泉の発掘開湯も行基との逸話があります。
ただ、、、
631年 日本書紀では舒明天皇が有馬温泉に保養に行かれている
668年 行基誕生
行基誕生年と日本書紀の記述年ではつじつまが合わず、舒明天皇崩御の年は641年ですので
行基誕生の年は?天智7年の668年?
どちらにせよ同じ石川県内ですので、3泊4日のスケジュールを組んで歴史堪訪に3ヶ所回ってみたいものです。
【宿屋の歴史】
海外貿易・海外交易としての鴻臚館
7世紀に記録が残っており、海外の使節団を歓待して宿泊させるための迎賓館として設置されています。
名前は中国の「鴻臚寺」由来だそうです
天皇や豪族・貴族の謁見には、申請許可が必要になり、その手続準備をするための日数がかかります。
その間の滞在先として、どうしても宿泊施設が必要になる訳です。
当然宿泊できる人たちは、お偉いさんたちになりますね。
もう少し時代をさかのぼると、仏教伝来が552年(538年説もあり)です。
魏志倭人伝(3世紀)には、魏国と邪馬台国卑弥呼との記述が残っています。
この当時では宿泊と言うより、領主の屋敷に招待されていた。
もしくは領主権限で屋敷を借り上げ滞在させた。
の意味が強く、宿泊=有償とは違った意味になります。
つまり「宿泊の定義」で起源もかわってくることになると思われます。
駅伝制度と宿駅制度
7世紀中央集権国家への法整備として律令制があります。
宿駅制度は、律令制によって駅伝制度から発展した制度で、今のインフレ整備のことです。
携帯電話やメールがない時代の伝達方法は、書面や口頭になります。
その為には、人や馬が必要になり、休憩場所や宿泊場所が必要になってきます。
741年 45代聖武天皇より国家鎮護のため全国に国分寺建立の命令がだされます。
これにともない、宿坊や布施屋・悲田処等の整備が発展していきます。
宿坊は、お寺に関係する方々の宿泊施設
布施屋は、行基が開いた農民や労役などの方々の宿泊施設
悲田処は、朝廷や寺院が開いた布施屋に類似する宿泊施設(833年に武蔵国で開いたのが最初)
庶民は馬を使えませんから、歩く・走る
ごはんも自己調達でしたから
飢えや病気など社会問題への取り組みですね
ここまでは無償施設としての宿泊ですが、利用者には対価の支払義務がありました、援助物資などです。
その代わり地元の方々のサービスが受けられる。と言った感じでしょうか。
有償施設として宿泊はどうだったか?
鎌倉・室町時代に突入すると、木賃宿・旅籠が誕生します。
当時、木賃宿は宿泊だけ、旅籠は食事だけと区別されていました。
木賃宿は、コメを炊くのに薪が必要だ!
薪費用徴収の意味を表しているようです
室町幕府末期にはおコメ持参の命令をだし、そのために薪費用が発生することになる。
つまり、有償での宿泊施設へかわるキッカケになったと言われています。
そこから宿泊の定義がかわり、食事の提供・個室の提供など有償でサービスが変わっていくことになります。
温泉の歴史
温泉は、地下マグマを熱源とする火山性温泉と、地熱などにより地下水が温められる非火山性温泉とに分けられます。
日本での温泉の定義の1つとして、「温泉法」により摂氏25度以上と決めれています。
国により設定温度がことなり、各国の平均気温を基準に設定しているようです。
アメリカでは21.1度以上
ヨーロッパは20度以上
アフリカでは25度以上
温泉の歴史は古く、「古事記」「日本書紀」や各地の「風土記」にも温泉に関しての記述が残っています。
日本書紀の中では
631年 34代舒明天皇は有馬温泉に3ヶ月滞在された旨の記述がされており、
平城京への遷都が710年ですので、舒明天皇が有馬温泉に行かれたのは、飛鳥時代になりますね。
724年には、行基により温泉寺を開山しています。
薬師如来から「有馬温泉を復興するように」
と言われたようです
日本三古湯として
日本書紀の中では
- 愛媛県の道後温泉
- 兵庫県の有馬温泉
- 和歌山県の白浜温泉
延喜式神名帳では
- 愛媛県の道後温泉
- 兵庫県の有馬温泉
- 福島県のいわき湯本温泉
現在の日本三名泉は
- 兵庫県の有馬温泉
- 群馬県の草津温泉
- 岐阜県の下呂温泉
日本には行きたい温泉地が多い
実際に日本の源泉数や温泉地数はどれくらいだと思いますか?
環境省の令和元年温泉データによると
源泉総数は、27,969
温泉地数は、2,971
だそうです。
北海道から九州・沖縄まで温泉地があり、それぞれ成分・効能も違います。
奈良時代や・平安時代には、天皇や貴族のような身分な方が利用されていましたが、鎌倉時代になると農民の方の湯治も増えたと言われます。
昔から温泉による効果を把握されていたのだと思いますね。
保養・療養から湯治、観光地へ変貌していく温泉地は、招待➡無償➡有償へと移り変わりながら、サービス向上へ進み、「おもてなし」の言葉が良くにあう娯楽地へと変貌していく。
日本の文化ですね。
まずは、地元周辺から堪能したいきたいです。
神仏習合への信仰心
飛鳥・奈良時代からは、神仏習合と言い、日本土着の神道と仏教とが混ざり合う宗教形態になってきます。
どちらかが優位に立つのではなく、混ざりあいながら一部分な合致もあり、それぞれの独自性を尊重する良い関係性の形態です。
温泉には古くから、湯神・温泉神として敬われてきた温泉神社があり、御祭神には大己貴神と少彦名命が祀られている場合が多く、
道後温泉の逸話では、少彦名命が病気になり、大己貴神が別府温泉から海底に管を通し湯を引きこみ、少彦名命の病気を治した伝説があります。
仏教においては、行基や空海などの仏教僧による発見が多く、仏様よりのお告げをもとに開湯するケースもあるため仏様を祀る仏教寺もよく見られます。
双方に共通して見られるのは、お水による清めです。
神社や寺院にあります手水舎は、その清めの簡素化でより多くの方々が参拝できるようにしたことが始まりになります。
参拝前に川などに入り、心と身体の穢れを落とす「禊ぎ」を行わなければ参拝できませんでしたが、立地条件や時代の流れにより、どうしても出来ない方たちのために手水舎が作られました。
温泉はまさに、その禊ぎの役割です。
温泉は、保養・療養として古くから活用され、健康や医療と言った面も併せもちます。
鎌倉時代:元寇での負傷者を
温泉で療養した記述もあるようです
庶民の浄化や癒しを促進させながら、心と身体の穢れをおとし、神社仏閣へ参拝する。
無償という「宿泊の定義」を掛け合わせすることにより、信仰心を高める動きにもつながっていく。
と私は感じています。
最後に
今回は、あくまで日本史でのまとめです。
世界史になると紀元前のメソポタミア文明までさかのぼり、
古代ローマでは映画になった「テルマエ・ロマエ」の温泉文化を題材にしたように、紀元前後の時代になります。
名古屋市出身の豊臣秀吉は、有馬温泉をこよなく愛していましたので、私も禊ぎを行い、歴史ある旅館に近々行ってまいります。
温泉好きな戦国武将も多くいますので、今度は【戦国武将と温泉】のテーマを記事にしたいと思います。
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