お歳暮は、1年間お世話になった方へ感謝を込めて、年の暮れに贈ります。
「今年もありがとうございました、来年もよろしくお願いします。」
サラリーマンの私は、通年の行事として贈っていたお歳暮の歴史を、お客様に聞いて込められた意味を理解したのですが、マナーとしても知識としても知っていて損はありません。
現在は贈るケースに増えましたが、感謝の気持ちはいつでも持っており、直接手渡しで挨拶回りをしていた時に、なぜこの事に気づかなったのか自分自身でも不思議な感じを覚えています。
(歴史好きなのに、調べる事さえしていなかった。。。)
お歳暮の由来や歴史を知り、心から感謝の気持ちを持って皆様も贈られてはいかがでしょうか。
今回は少しでも皆さんの知識となることを、歴史背景も絡めてお伝えしようと思います。
【 歴 史 】
お歳暮の歴史が始まったのは、室町時代からだと言われています。
一般的に庶民へ広まったのは江戸時代、商人たちがお得意様への贈答品がきっかけになり一般的に広がったとされ、昭和の中頃には現在の形になったようです。
そもそもお歳暮は、年の暮れから正月にかけ、家々の先祖の霊や福徳を司る神である歳徳神を祭る「御霊祭」が起源と言われています。
その際にお供え物を、正月を迎える歳徳神様へ、分家から本家へ、嫁ぎ先から実家へ、と贈る風習があったとされます。
少しお歳暮の歴史に横やりをいれます。
歳徳神様へのお供え物を焦点とすると、歳徳神様は福徳を司る神であり、家々に迎える神様です。
つまり神様の存在を認知しており、お供え物の価値を知っていることになります。
お歳暮の歴史は室町時代が始まりと言われていますが、なぜ鎌倉時代や平安時代が始まりではないのか疑問?
昔は、
神様へのお供え物として、幣帛(へいはく)があります。
幣帛とは神様へのお供え物です。
701年奈良時代に大宝律令が完成し、律令制度が確立され始めていきます。
その際、地方の神社神職を上京させ、神前への幣帛を直接班給し管轄していましたが、
8世紀後半には、幣帛の任を各国の国司が担当することに変更されました。
つまり神社の序列化をすすめていく政策です、社格と表現した方が理解しやすいかもしれません。
社格についてはこちらでまとめています。
社格の設定をし、地方では一之宮・二ノ宮など序列をもうけて各地域ごとの戸籍管理が本来の目的と言われます。
管理された庶民は神事ごとにお供え物を提供することは、容易に想像できると思います。
・奈良時代や平安時代には、天皇の病気平癒祈願で各地からのお祈りをささげる神職信者
・天皇外戚を狙う藤原の摂関政治時代の貴族による贈り物
・鎌倉幕府を開いた源頼朝も、あの名古屋市の熱田神宮に刀を奉納
お供え物自体は室町時代以前から行われてきました。
時代や身分により、その意味も少しづづ変化し、言葉の表現が「幣帛➡〇〇➡お歳暮」という名前に変化しはじめたのが室町幕府であった。ではないのでしょうか。
【 時 期 】
お歳暮を贈る時期は、12月13日~20日までに贈るのが良いとされます。
12月13日は「正月事始め」と言われ、正月を迎える準備が始まりますので、お歳暮の意味を理解すると納得できますね。
正月事始めの13日というのは、宣明暦では12月13日の二十七宿は「鬼」になり、鬼の日は婚礼以外はすべて吉とされています。
その後の改暦で二十七宿とは同期しませんが、正月事始めは12月13日のまま今日にいたったそうです。
現在では11月末から贈られる場合も多くなり、また地域によっても変わります。
地方 | 時期 |
---|---|
北海道 | 12月10日~20日 |
東北地方 | 12月10日~20日 |
関東地方 | 12月1日~20日 |
北陸地方 | 12月10日~20日 |
東海地方 | 12月10日~20日 |
関西地方 | 12月10日~20日 |
中国地方 | 12月10日~20日 |
九州地方 | 12月10日~20日 |
沖縄地方 | 12月初旬~12月25日 |
*宣明暦とは中国歴の1つで、太陰太陽暦の暦です。
日本では1872年に採用され、明治6年(1873年)1月1日を新暦としました。
*二十七宿とは中国でうまれインドで改良された天文学を用いた占いです。
月の通り道である白道を均等に27分割するように設定され、江戸時代に廃止されるまで多くの儀式に用いられていました。
【 最後に 】
1年間の感謝の気持ちをお歳暮として贈ります。
出来れば喜ばれるものを贈りたいですよね。
一般的に、企業へはビール類・ジュース類・コーヒー類・お菓子などが多いでしょうか。
個人的に贈られるならば、ワイン・日本酒の酒類・ハム・ソーセージ類の肉類は喜ばれますね。
事前に好みを確認する・年末ギリギリの時期などは注意された方がよいですよ。
私の周りにはお酒好きな方が多いですけどね。
コメント