織田信長が愛した側室【吉乃】の生駒氏菩提寺【久昌寺】取壊し

歴漫

2021年夏に【嫩桂山久昌寺】取壊しのニュースを見ました。

約60年前から専属住職がおらず、管理に問題があり(老朽化対策など)、費用面で維持が困難だと判断されたのが理由だそうです。

久昌寺と言えば、愛知県江南市に600年以上歴史のあるお寺で、織田信長最愛の女性「吉乃」(または類)生駒氏菩提寺です。

その久昌寺がなくなるのは、歴史ファンにとって残念ではありますが、すこしでも足跡を後世に残していきたいと思います。

嫩桂山久昌寺

久昌寺
嫩桂山 久昌寺

久昌寺:愛知県江南市田代町郷中47
山 号:嫩桂山
宗 派:曹洞宗
創 建:1384年
中 興:生駒吉乃

創建当時(1384年)禅喜寺として草創、1387年には慈雲山龍徳寺と名前が変わります。

1467年応仁の乱頃、戦火を逃れ大和から尾張小折へ移住したときに開営し、以後生駒氏の菩提寺となります。

1566年生駒吉乃が病没後、久昌寺になったと言われます。

生駒吉乃の法名は「庵桂大禅定尼」

取り壊しへの流れ

2020年8月 久昌寺側より本堂など老朽化のため、江南市側へ買取要望書を提出
2022年度  久昌寺公園を拡張する方針で買取
2023年度  新久昌寺公園(仮)として整備予定

織田信長と奥さん方

織田信長生没年 1534年ー1582年
生駒吉乃生没年 1528年ー1566年 

奥さん名前男児女児
正室濃姫
側室生駒吉乃長男/信忠
2男/信雄
長女/徳姫
側室伴氏3男/信孝
側室養観院4男/秀勝2女/相応院
側室お鍋の方7男/信高
8男/信吉
於振
側室土方氏9男/信貞
側室原田直子庶長子/信正
側室慈徳院三の丸殿
側室春誉妙澄大姉4女/玉泉院
側室あここの方
御つまき
稲葉氏?
側室不明5男/信房
6男/信秀
10男/信好
11男/長次
鶴姫
源光院
5女/報恩院
月明院

生駒屋敷

生駒屋敷
生駒氏の邸址

生駒氏は、応仁の乱頃に大和(現在の奈良県)から尾張小折(現在の愛知県江南市)に移住し

この地で、灰(染物の原料)と油を商う馬借(運送業)で財をなし大きな勢力をもつようになりました。

織田信長が生駒氏に目をかけるきっかけは、その商いからの財力と情報力と言われ、桶狭間の戦いや美濃攻めの戦略もこの地で練ったそうです。

そこで未亡人の生駒吉乃に出逢います。

豊臣秀吉が織田信長の配下になったのも

生駒吉乃がきっかけだと言われています。

●生駒家略系図

●「生駒吉乃」「類」とも呼ばれているがともに、多くの古文書にもその記載が見当たらない。

●蜂須賀正勝は、織田信長/豊臣秀吉に仕える前から生駒家と面識があったと言われている。

●1567年 徳姫は徳川信康と結婚 ともに9歳であった。
吉乃病没後の翌年のこと。

龍神社

龍神社
雨壺池

龍神社:愛知県江南市小折町八竜84
ご祭神:八大龍王
由 緒:1622年岡崎城主徳川信康の正室徳姫(見星院)と生駒利豊の再建
    生駒家の氏神で織田信雄の守護神でもあります。

龍神社の前は、吉乃御殿と言われ、織田信長と愛を育んだ場所です。

現在は社務所となり、雨壺池や力石など、歴史を感じる場所が残ります。

廣間家の門

廣間家の門
廣間家の門

明治時代の廃藩置県のおり、生駒家の中門を廣間家がもらいうけ、移築されました。

織田信長もこの門を通り、生駒吉乃に会いに行かれてたと言われる市の文化財です。

近辺には駐車場がありませんので、最寄りの名鉄「布袋」駅近くコインパーキングから徒歩5分です。

最後に

久昌寺 周辺

長年専属住職が不在だった久昌寺の取り壊しは、歴史的価値/遺産が1つなくなるだけではなく

今後同様なことが起きてくると思われます。

財政難な神社寺院、氏子や檀家の減少などの理由が挙げられます。

でも、本当にそうでしょうか?

江戸時代の人口は約1500万人から約3000万人に移り
明治時代の人口は
・明治 5年(1872年)・・3480万人
・明治37年(1904年)・・4613万人
・明治45年(1912年)・・5000万人
昭和時代の人口
・昭和11年(1936年)・・6925万人
・昭和23年(1948年)・・8000万人
・昭和31年(1956年)・・9000万人
・昭和42年(1967年)・・10,000万人
(内閣統計局よりのデータ)

歴史的建造物は、江戸時代以前に創建されたものが多く残ります。

現在の通信手段がない当時は、人や手紙、口伝えです。

その存在も、一生知らないまま人生最後の日を迎える方も多かったと思います。

人口推移数でわかるように、現在の1/4以下人口数で管理されてきた神社寺院。

4倍以上の人口数ながらも取り壊しされる現在の神社寺院。

・人口分布
・幸福度
・管理費
・関心手段
・地球規模
いろいろな項目により答えの道筋は違うでしょうけど

単純に、関心度合によるものではないのか?と私は思う。

簡単に答えを出す必要はありませんが、それでも関心を持つづづけてほしい思いから

歴史は残し伝え続けていきたいと思います。

コメント

タイトルとURLをコピーしました